肩の痛み
長男に噛み付かれて肩が痛い。
部屋で走り回って窓ガラスに激突した長男を注意した。ガラスにぶつかると、もしかしたらガラスが割れて大怪我をしてしまうと思ったからだった。長男は泣き始めた。怒ったというほど激しく注意したわけではなかったが、ちょっと強く言いすぎたかしら思い、長男を抱き上げてなぜガラスにぶつかると危ないのかについてコンコンと説明をした。と、その時、肩に激痛が走った。長男がガブリと僕の肩を噛んだからだった。そして僕は悲しくなり、少しがっかりした。
僕は2人兄妹の兄で、少し神経質に育てられたという自覚がある。厳しく父親に躾をされたり、将来についても期待されたり、親がなんとなく敷いたレールというものが確かに存在した。小学校高学年くらいになってからは、しょっちゅう食卓で父親に説教をされたりしていた。その影響もあってか、20代前半くらいまでは神経質なところが自分にもあった。中学校の頃は少し登校拒否気味になったり、不眠症で全然眠れない時期もあった。20代になり働き始め、いくつかうまくいかない事があった。職場のスタッフたちの総スカンに遭って無視されたり、関係を拗らせたスタッフが退職したりする事もあった。それを真正面から受け止めようとした時、これはちょっと今の感覚では続けられないなと思い、悪く言えば雑に、よく言えばおおらかに自分を変えることにした。
神経質な自分と、少しおおらかになった自分を比べた時、明らかに後者の方が生きやすいという感覚が自分にあったので、子供が生まれた時、僕はおおらかに育ててあげたいなと思った。長男も2歳くらいまではほとんど怒らずに育てることができていた。しかし、イヤイヤ期を迎え、次男が生まれると状況が大きく変わってきた。注意や叱ることが増え、それに反発して余計にわがままを言うようなところが増えてきた気がする。そして冒頭の出来事である。
おおらかに育てたいなと思っていたはずなのに叱りすぎている自分にがっかりし、悲しくなる。長男も繰り返し怒られるのでかなり大きなストレスを感じているのだろうと思う。危ないことは注意せざるをえないのだけど、それ以外の部分で叱ることを減らすことはできるかもしれない。反省する毎日である。
音楽の歌詞について
以前、甲本ヒロトがTVで『「今の音楽」に思うこと』というテーマで少し話をした時に、アナログ世代とデジタル世代で違うこととしてひとつ思うのは“歌詞を聞きすぎ”ていることだという話をした。
僕自身も仕事をしていた頃、若い世代の人たちと音楽の話をしている中でそう感じた事があった。あるアーティストのファンであるその子たちは、歌詞についてあーでもないこーでもないと議論したりしていた。その時は、なんでこの子達そんなに歌詞について話しているのだろう?と思い、歌詞なんて音楽に付いているおまけみたいなもので、音として気持ちいいか楽しむものだから、歌詞の内容について考えるなんて滑稽じゃない?というように話した記憶がある。
ところが、この時のヒロトとその場にいたタレント達の話を聞くと、これはその子達が特別だったのではなく、世代的な傾向なのだという。最近のデジタル世代は気になればすぐに歌詞にアクセスできるため、歌詞の意味などについて深く考えたり、文字を追いすぎているというのだ。
なるほどなと思った。ともすると作り手側はそれを意識して作る。その子達が好きなそのアーティストは、それを逆手にとって歌詞に色々な意味を忍ばせ、ファン達に考察させることによって面白みを持たせていたのかもしれない。
音楽が以前よりも文学的になっているのかもしれない。でも、アナログ世代の環境で育った僕は相変わらず歌詞は音として気持ちいいかどうかが最重要で、歌詞について深く考えようなどとは全く思わない(思えない)のである。
ブンとナイン
息子にはお気に入りのぬいぐるみ(パペット)がある。先にうちにやってきたのは11ぴきのねこという児童書に登場する猫のぬいぐるみ。息子の誕生日に僕の妹が買ってくれたプレゼントだった。名前は11ぴきから連想してブンという。11ぴき→イレブン→ブンというわけだ。
それからしばらくして、家族で多摩動物園に出かけた時、お土産に猿のぬいぐるみ(パペット)を買った。名前はナインという。ぬいぐるみにはしばらく名前がなかったが、息子に名前を聞かれた時に、「まだないんだよ〜」と言った(?)ことがきっかけで、名前はないんだ→名前はナインだ→そういえばブンはイレブン(11)だし、この猿はナイン(9)にすれば面白いからそうしよう!という流れでナインとなった。
息子は特にこのナインがお気に入りで、片時も離さず一緒にいるので、それから1年半過ごした今のナインはボロボロだ。まるで季節の変わり目のように体毛は剥がれ落ちて禿げているし、最近はパーツの継ぎ目がほつれかかってきている。時々洗ってみれば真っ黒な液体が出てきたりもする。
そしてナインが洗われて日向ぼっこをしている間、その代役はブンが務めてくれている。ナインの代わりにリュックに入って一緒に散歩に出かけるブン。なんだかちょっぴり嬉しそう。
この子たちといつまで一緒にいるのだろう?
分からないけど、妻は幼少期に好きだったぬいぐるみを今でも大切に持ち続けている。そんな一生の友達になったら良いなと思う。
6ヶ月点検
早くも車を購入してから6ヶ月点検。登録が月末だったというのもあるけど、それにしても早いなあ。点検での問題は特になし。オイル交換はしてもらったんだけど、やっぱりだいぶ気持ち良くなる感じがする。
点検中は息子と飲み物や新車カタログを見たりしながら1時間くらい時間潰し。息子が車好きだからカタログを一緒に読んでいればおとなしいので助かる。担当の営業さんがカレンダーやカタログを色々くれた。
リーフやアリア。昨日トヨタのEV戦略発表会があって、かなりの種類のEV車や販売目標なんかが発表されたりしたみたいだけど、カーボンニュートラルに向けてガソリン車はどんどん少なくなっていくんでしょうね。
我が家の買い替えは早くとも5年後だと思うんだけど、果たしてどうなっていくのかしら。それにしてもアリアかっこいいな。
幸福度調査
先日、町の広報の担当者さんから突然連絡があり、TVからの取材を受けることに。連絡自体も突然だったのですが、取材も翌日。そして放送も取材当日。まあ一応報道系の番組なので、新しいニュースを新鮮なうちにということなんでしょうが、それにしても忙しない(゚ー゚;Aアセアセ
急いで家を片付けて待っていたら、町の担当者さんから「取材なくなりました〜」という連絡。なーんだ、やれやれと思って、普段モードで過ごしていたら、取材の予定だった時間に、ピンポーン♪
インターホンに出てみたら、やっぱり取材の方々。町からキャンセルの連絡があったことを伝え、確認してもらったら、町の担当者の勘違いとの事。マジか!すぐ応対できるような感じじゃなかったので、少し待っていただいて急いで準備(゚ー゚;Aアセアセ(゚ー゚;Aアセアセ
まあなんやかんやあって無事に取材が終了して、放送してもらったのでした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/91b2ac4fd2797bd20a4f8e9d23be339ed70bd388
それにしても、まさか自分たちが引っ越してきた自治体がこんなランキングのトップになるとは…。アンケートの回答者数も少ないので偏りはありそうですけど、詳しい調査結果(https://www.kentaku.co.jp/miraiken/market/pdf/research/sumicoco/release_happiness2021_zenkoku_20211201.pdf)のランキングを見てみると、同程度の回答者数の自治体も割とある様子。ただ、上位の中には郡に所属する町が多めに入っている傾向もあって、人口がそれほど密集していないというのは多少関係があるのかも。あとは老年人口比率が高いこととか?このランキングが発表された時、何気なく妻に聞いてみたら、「やっぱりお年寄りっていうのは今まで歩んできた自分の人生を肯定したいものだから、幸せだと思いたいんじゃない?」という分析。
某夜更かし番組で取り上げられた時も、バブル期に高級住宅を購入した世代が悠々自適な老後生活を送っているのが影響してるのでは?というような分析もしていたし、まあそういうことなのかなーと。
ところで、取材の最後の方で「今幸せですか?」というような質問をされて、確かに幸せを感じているので「幸せです」と答えたのだけど、それが今回の調査みたいに、この自治体に住んでいるから幸せなのかというと特にそういうわけではないので、若干答えるまでに間が空いてしまった。
というのも、成人して以降、自分が幸福か否かについて考えた時、自分は幸せだと常に思って生きてきたし、自分が不幸だなどと思ったことはこの人生振り返ってみてそんな記憶がないのである。今が一番幸せなのは間違いないのだけど、例えば5年前に考えた時も今が一番幸せだったと思うので、なかなか難しい。
そう考えるとこの町は幸せな人がいつのまにかなんとなく集まってユートピアを形成する町なのかもしれない。だとしたらちょっと怖い。
まあ今とんでもなく自分のことを不幸だと思っている人がこの町にやってきたからといって、たちまちに幸福になるわけではないということはハッキリ言える。