ねたばれ

ネタバレという言葉がある。仕掛けや結末が事前にわかってしまうこと。(大辞林 第四版)らしい。僕もネタバレに遭遇した事は何度かあって、それは自分にはどうにもできない場合もあるし、気をつけてさえいれば避けることができたものもある。

 

例えば、どうしてもライブ放送で見ることができない用事があったときのスポーツなどは、なるべく録画を見るよりも先にニュースの類を見てしまわないように避ける。

 

子育てをするようになって多いのが将棋のNHK杯。育児の関係で通して見ることが難しいので、僕は毎週録画しているのだけど、たまに追っかけ再生をしようとしたらTVが切り替わる瞬間に今放送している映像が見えてしまうことがあり、先の局面や下手をすると勝敗まで分かってしまうことがある。その経験をしてからは放送を見ている最中で子供を見るときは、TVを消す前にチャンネルを移動させてから消すよう心がけている。

 

或いは、古書店で購入した推理小説を読んでいたら、ある登場人物に御丁寧に線が引っ張ってあることがあった。おいおい…と思いつつも読み進んでいくと、案の定その登場人物が犯人であった。

 

他にも気の利かない友人に映画の結末をバラされてしまったり、という事はよくあるネタバレの一例だ。

 

ただ、人によってどこでネタバレと判断するかは様々である。上記のような例は万人に共通したネタバレであるという事は疑いようもないと思うが、異常な程にネタバレを気にしてハードルが上がってしまっているネタバレハードラーも世の中には存在する。

 

ある時、某アニメ映画の最新作の情報を目にした。公式が発表したものらしかったので、そのアニメを好きな友人に「今度の新作って〜…」と何の気なしに連絡した。すると「それはネタバレになるんでやめろ!💢」という感じの返信が来たことがある。

 

つまり、たとえ公式が発表した情報であっても自分の手でそのページに行き、自分の目でテキストを読み、確認するまでは他人に介入して欲しくないというわけだ。これはなかなかにハードルが高い。ネタバレに対してストイックすぎる。もはやこれはネタバレという言葉を凌駕している。差し詰めネタ鎖国だ。

 

それ以降その友人に対して一切そういった類の話題を振ることをやめた。こちらは単に新しい情報で一つ盛り上がりたかっただけではあるのだが、少し残念な気持ちだ。

 

もう一度確認しよう。ネタバレとは仕掛けや結末が事前にわかってしまうこと。(大辞林 第四版)である。

 

ネタバレを超えたリテラシーを他人に求める言葉が発明されることを切に願う。もう2度と地雷を踏むことがないように…。