2021年2月9日19時55分

祖母が亡くなりました。93歳でした。

 

1年くらい前までは施設で元気に生活していたのですが、昨年に入ったくらいから少しずつ調子が悪くなっていました。歩いていて転ぶことが増え、車椅子での生活になり、食欲が衰えていきました。それでも会いにいけば笑顔を見せ、元気そうではあったのですが、食べる量が減って嚥下機能が低下してしまったのか、冬になり誤嚥性肺炎になってしまったのです。

 

施設から病院に入院したのですが、このご時世。コロナの影響で面会は一切できない状態が続きました。2か月以上入院していたでしょうか。年末年始は病院で過ごし、年が明けた頃に肺炎は治ったのですが、嚥下機能が完全に低下してしまい、口から食べ物を入れることはできず、栄養は血管から直接入れられている状態になりました。医師からは胃瘻を勧められたりもしました。母は少し悩みましたが、施設から「我々で看取ることは可能です」というご提案をいただいたり、祖母自身が延命治療は望んでいなかったこともあり、できるだけ自然な形でということで、そのまま退院させ、残りの短い人生を施設で過ごすことにしました。

 

それから2週間くらい、施設の配慮で面会が可能な状態でしたので、母はほぼ毎日面会に行き、私も幼い息子を連れて週に二度三度と足を運びました。栄養はゼリー状のものを少しずつ口から入れる程度。普段過ごしていた施設に戻ることでなんとか気力が戻り、嚥下機能の回復に向かわないかと奇跡も願いましたが、やはり難しかったようです。

 

そして2月8日。血圧が低下してきて、全く食事も受け付けなくなり、そろそろ危ないという事で連絡がありました。私は家族を連れて面会に行き、そしてその晩、祖母と2人きりで病室で過ごしました。いつその時が訪れるかも分からない中、もし私が眠っている間に何か起きたらと不安な夜を過ごしましたが、その晩は何事もなく過ぎました。祖母は苦しそうで眠れない様子です。

 

翌2月9日の朝は快晴でした。春が近づき、梅が咲きかけて、鳥が鳴いていました。私は祖母の呼吸を耳で確かめながらぼーっと青天を通り過ぎる飛行機を眺めていました。

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今際の際を一緒に過ごし、目を瞑る瞬間にしっかりと見送る。ということは、案外難しく、できないものです。今まで、身近なところでは祖父や叔父が亡くなっていましたが、家族の誰もその瞬間を一緒にいてあげることはできなかった。それを私はとても悔いていました。あの時もっと自分に思いやりがあれば、あの日仕事を休んでいれば、とずっと後悔していました。

 

家族や友人をもっと大切にしたいという強い思いもあり、仕事を辞め、専業主夫として過ごしている今、少なくとも家族が誰もいない中で祖母を送り出したりはしたくないと考えていました。

 

食事などの休憩を家族でバトンタッチしながら同じ部屋で過ごし、その夜、祖母は私の妹と姪に見送られあの世に旅立ちました。

 

周りからすれば、ずいぶん頑張ったねぇ、長生きしたねぇ、という事なのでしょうが、やはりまだ生きたいと懸命に呼吸していた祖母の姿が目に焼き付いています。今生きているこの時間、1分1秒を大切にして過ごしたい。改めてそんな気持ちになりました。

 

先日祖母の納骨に行きました。桜と富士山がとても綺麗なお墓で、大好きだった祖父や叔父と一緒に眠りにつきました。

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